ちょっと、島根とは脱線してしまいますが・・・。
ゴールデンウィーク前の土曜日、松山をぶらぶらとしておりました。
松山と言えば、道後温泉ということで、道後温泉本館を訪ねたのですが、その際に、道後温泉本館の方に、『道後温泉を開湯されたのは、出雲の国から旅されてきた大国主命と少彦名命の二柱の神様』と言われていると説明を受けました。その謂れにもとづいて、湯釜には、大国主命と少彦名命が描かれているそうです。
伊予の国と出雲の国の深い関係ですよね。そう言えば、昼食を取ったお店で、会計をすませたら『だんだん』と声かけられました。伊予でも、「だんだん」なんですね。
2010年05月07日
伊予の国と出雲の国にそのようなつながりがあったとは
知りませんでした。
ところで連休中は本州と四国をつなぐ明石大橋はものすごい
渋滞で大変だったみたいです。
会社の上司が舞子と言う明石大橋の本土側のそばに住んでいる
のですが橋の上が車で埋まっていたと言ってました。
ひゃくはちじゅうさんは渋滞とか大丈夫だったのかな?
某国営放送の『坂の上の雲』でも主な舞台が松山だったので、
「だんだん」という言葉がよく使われていました。
おかげでドラマにとても親近感を感じました。
■Yossiさん
私も、伊予と出雲にこんな繋がりがあったとは知りませんでした。何度も、道後温泉本館には立ち寄っていたのですが、今回、初めて知った次第です。湯釜の彫刻も「まさか!」でした。
今回の訪問は、飛行機でしたので、渋滞とは無縁でした。ゴールデンウィーク前ということもあってか、松山もかなり落ち着いた雰囲気で、本当にぶらぶら散歩させていただきましたよ。
ゴールデンウィークの明石海峡大橋は、確かにすごそうです・・・。淡路島に阿波に讃岐へ向う大動脈ですからねぇ。1000円高速が使える時に・・・という心理も影響したのかしれませんね。
■片耳の男さん
坂の上の雲、松山でもあちらこちらでポスターが貼りだされておりました。次は11月から放送再開ということで、随分期間があるなぁと思っていたのですが、観光業界としては、影響が持続するといった雰囲気なのかも知れませんね。
伊予と出雲、海を隔てた遠い地なんですが、文化というのは繋がっているんだなぁって思います。そう言えば、愛媛県というと、宇和のあたりで神楽、宇和島では牛突きが盛んですよね。
道後温泉本館、風情があっていいですよね。歴史を感じさせるし。
私も何度か訪れたことがあるのですが大国主命との縁はしりませんでした。松山でも「だんだん」って言うんですね。
松本清張の「砂の器」では出雲弁と東北地方の言葉が似ているということが題材でしたが、昔日本ではメジャーな言葉だったかもしれませんね、期待も込めて。
記憶だけなので、ちょっと、不確かなんですが、柳田国男の蝸牛考か何かで、都を中心として、方言が広がっていったと考えられていますよね。(海をわたるかどうかは別にして)距離的に、伊予の国も出雲の国も同じぐらいなので、まさしくそれを体現しているのかなぁと思ったりします。なので、昔、京の都では『だんだん』と言っていたのかも知れませんね。
砂の器の出雲弁と東北弁のかかわりは、なかなか難しいみたいで、北陸~山陰の日本海側の中でも、ズーズー弁に近いのは出雲弁のみというのを何かで読んだことがあります。北前船の寄港地などが関係しているのかなぁと思ったりするんですけど、どうなんですかね~。