邑南町・「うづい通信部」は、
旧医院跡の活用ですが、
元の医院にあった掲示が残っていました。
(掲示そのものは、閉院の前には既に使われてなかったのですが、残ってたんですね)
昭和31(1956)年の「新しい医薬制度」というのが、初見です。
(国民健康保険法・1958年)
(薬剤師法・1961年)
このへんはメジャーですが、
(医薬分業法・1956年)
https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/kj_shoku/qqbox/tyouzai/bungyo/
定着しなかったようですね。
今でこそ、院外処方はメジャーになりましたが。
ちょっと勉強になりました。
2022年09月01日
うづい通信部にも寄ってくださったのですね、ありがとうございます^^
何を召し上がられたのでしょう?
改装前の方付で初めて入った時、本当に懐かしいものがたくさん残っていて、タイムスリップしたみたいでした。
今は使われなくなった醫師という言葉。
風情があって良いですね。
ちょっと言いにくいですけど(笑)。
掲示は去年の状態で、そのまま張り出されていましたが、
今年はケースに入っていたでしょうか。
(そこまで確認してませんでした。)
字は難しいですが、読みは普通に医師、医院ですからね。
薬剤師法より先に医薬分業制度を作っても、定着せんわなあ・・と、今さら思います。
田舎は、院外調剤するような薬局がないでしょうけど。今でも。
難しい漢字の連続で、歴史を感じます。
ある意味、「時代を先取り」していたと前向きに解釈しています。
月に一度、母を同じ日に外科と内科に連れて行っています(外科→内科の順で)。
内科の隣にある薬局へ外科と内科の処方箋を持参しています。
朝食後の薬が外科と内科の両方を貰うことになり、同じ袋にまとめて入っているのは「飲み忘れ」を防ぐ意味で助かっています。
薬剤師法は、明治時代にできた旧薬剤師法が、全面改定されて「新薬剤師法」ができたそうですが、
国民健康保険法の前に「院外薬局」というのも、
「ぼったくり」の不安を持つ人がいそうだし。
薬メーカーや問屋が、「鎮痛剤には○○を採用してください」と医療機関に営業かけて・・というのも昔からあったでしょうし。
そういえば、「お薬手帳」を、カープの手帳のあと、「しまねっこ」をねらってるんですが、なかなか手に入りません。