工事現場の壁に書かれていました。
1、不思議な錨(龍覚寺の源助地蔵前)
小泉八雲の著書「知られぬ日本の面影」に書かれた、見つからない溺死者を引き上げる不思議な錨の話。
2、 大庭の鳴り石(大橋南詰め花壇の大石)
昔、大庭にあった一定の距離上へ運ぶことが出来ないと伝えられる音のする石。殿様が運ばせたが、大橋から北に移すことができませんでした。
3、 大庭の源助柱
松江大橋架橋の時、 生き埋めになったという足軽源助の人柱伝説。
4、 大橋の擬宝珠(ぎぼし)
松江藩主の夫人(岩姫)が御入輿の土産物として擬宝珠を持参し、以後、大橋掛け替えの際にも使われてきました。
5、 大橋の命名
第14代大橋が『松江大橋』と定まるまで、架け替えごとに普門院の住職によって橋名が命名されてきました。
ここからは私の追記です。
堀尾吉晴の「初代大橋」と京極忠高の2代目大橋の正式名称は不明。
3代目大橋は寛永末年入国した松平藩の架けた元明大橋で、以後松平十代の間に架け替えのたびに橋の安寧を念じながら、玉台、蓮台、要津、安祥、文祥、光雲、越栄、速超、寛津、吉祥とその名を変えたそうです。
松江大橋と命名されたのは、明治7年に作られた14代目の木橋が初めてである、とのこと。
ちなみに、 昭和11年の夏、橋の基礎工事中に落ちてきたコンクリートバケットが直撃して、技師の深田清さんが亡くなり、彼の死を人々は人柱伝説と結びつけ、その肖像を彫刻した銅板を基礎深く埋めて神仏に祈ったそうです。
橋の傍には31歳の若い命を橋に捧げた深田清さんの鎮魂碑が足軽源助さんの碑と並んで立っているとのことですがこれは全く知りませんでした。
2022年11月06日
郷土本、文芸誌でもある季刊山陰のコラムの様な渋い投稿ですね(^^♪
郷土史というのは、調べるほどに底なし沼のように深く暗く底が見えません。
次々と新たな発見があるので、私のようなど素人でも常に楽しめています。