TOP
News
リメしまSalon
リメしまPost
リメしまPick Up
About Us
TOP
News
リメしまSalon
リメしまPost
リメしまPick Up
About Us
HOME
News
リメしまSalon
リメしまPost
リメしまPick Up
About Us
このサイトについて/運営組織
利用規約
応援団員規約
投稿時の注意事項
個人情報の取り扱いについて
よくあるお問い合わせ
お問い合わせ・ご意見
高島
5
7
あそぶ
益田市
2010年02月09日
沖に見えるのは高島さんだよ。
謎の島とも称される島は、1975年に無人島になったそうだよ。
戻る
コメント
小次郎さん こんにちは
高島という島があることを初めて知りました。
wikipediaを調べるとなんと載ってました。
興味深い写真をありがとうございます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6_%28%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%29
その、wikipediaによると、釣りスポットとして人気があるそうですけど
ポイ捨てスポットにはして欲しくないですね・・
2010年02月09日
報告する
小次郎さん、高島に何か見つけたかな?
高島は野鳥の宝庫で、バードウォッチャーはよく渡っているようですよ
水道管が海底走っているのはここではなかったかな?
2010年02月11日
報告する
きれいな島影です。この形だと津田から西の位置からの島影ですね。
美しすぎる。
関西からの帰省のとき折居の辺りから高島が見えてくるけど、折居の足りではもっと東西に短く見えま益田のほうに進むにつれこの島影になってきます。
美しいです。今すぐ帰りたくなります。
ありがとう!
2011年01月13日
報告する
小次郎さん こんにちは。
Yossiさん、oka-ponさん、Mqさん こんにちは。
「高島」美しい風景、島影ですね。
(昨年の2月~3月は、小次郎さんがご投稿されたと時は、自分がリメンバー見るのを停滞していた時期で) 初めて、この風景を、見ました。
津田のきれいな海の風景も、ここで見せていただきましたが、
きれいな高島の写真をありがとうございました。
小次郎さん、ありがとうございます。
Mqさん~ 「高島」の写真を引っ張ってきていただいて、ありがとうございました。
2011年01月14日
報告する
== 高島の歴史 ==
夕寒き 孤嶋に星を 数えけり これは、石見地方(島根県西部)の俳壇の先達、近藤月村先生の句であり、孤島暮しの実感がよく表現された作品といわれている。 この不毛の孤島、高島に住まなくてはならない悲しい運命を背負った人々があった。 その移住の先人説として、「高島由緒」には、大永3年(1523年)、毛利元就の攻略に遭い、悲運を辿った出羽(島根県邑智郡)城主高橘(たかきつ)大九郎の一族が亡命漂着、この地を開拓したのが始まりとされている。 他に2,3の異説があるが、いずれも戦国武士の漂流説であり、時代もほぼ接近している。中世以来、人々は高島の南東部にある標高4,50メートルの僅かな傾斜地に住み、大自然の猛威と戦いながら僅かな耕地に甘藷、雑穀を作り、海藻、魚介類を採って 暮したのであった。この狭い高島は、生徳2年(1712年)にネズミの異常繁殖のため、耕作物に壊滅的被害を受け大飢饉に陥った。それ以来、島の人口が増えることを最も忌み嫌い、戸数を七戸以内とすることを不文律とした。高島は、もう一つの名を七戸島といわれ、「春潮や 神の置きたる 七戸島」と詠まれている。それ以後明治まで この七戸の掟は守られた。昭和に入って漸増し、最盛期の昭和35年には16戸、125人の人達が高島に住んでいた。昭和27年に電灯がともり同29年には村営(那賀郡 鎌手村)の定期船も就航し、ようやく文明の恩恵に浴することとなった。しかし、高度成長のもたらす僻地の過疎化の波には抗しきれず、昭和53年3月(1978)、全集落16戸が対岸の益田市土田町に集団移住するところとなり、約450年に及ぶ高島での生活の歴史に終止符がうたれた。
== 「お伊勢」にまつわる話 ==
高島にもこの世の常として悲しい女の物語が伝えられている。 それはいつ頃のことであったか、お伊勢という娘がいた。男性なら誰でも振りかえって見たくなる程の美しい娘であった。その美しい娘が対岸の津田という所から高島に嫁いで来た。新婚当初は、島の生活も楽しく珍しかったが、やがて荒涼たる孤島の暮しに 飽きてきた。望郷の念やみ難く、何とかして島を抜け出せないものかと毎日が気の狂わんばかりだった。しかし、荒海3里を隔てた孤島では如何ともし難いことであった。ある日、娘にふと妙案が浮かんだ。島の周囲は1里である、3周できれば対岸に渡れると考えた。天気のよいある日、試みに島の周囲を泳いでみたところ遂に3周することに成功、喜び勇んで前後のわきまえもなく、そのまま対岸に向かって泳ぎはじめた。しかし、 海を知らない女の悲しさ、日本海の潮流には勝てず、必至の力泳も空しく対岸まであと半里の岩礁にたどりついた時は、疲労と安堵感で気を失いそのまま息が途絶えた。その時は、淡い弦月の光が悲しく石見の海を照らしていたという。村人はお伊勢をたいそう哀れみ、この岩礁に「伊勢島」と名づけたそうである。それ以来、このあたりを月夜の晩を航海すると、もの悲しいお伊勢の呼ぶ声が聞こえてくると語り継がれている。
2011年03月06日
報告する
こんにちは。
お伊勢さんの伝説は「まんが日本昔ばなし」で「お伊勢物語」としてアニメ化されてますね。
トラウマ回として有名だとか。
2011年06月11日
報告する
高島は自分の原風景の一つですね。
ちっちゃい頃は「ひょっこりひょうたん島」かと思ってました。
今も東京から帰ってくるとき、飛行機の窓から高島が見えると、ああ帰ってきたなあと思います。
2013年08月01日
報告する
関連するリメしまNews
2023年10月27日
くらし
あそぶ
たべる
集う
学ぶ
らぶ♡
【11月21日~27日開催!】リメしま特別企画「しまねとつながるマルシェ」
2023年07月19日
あそぶ
らぶ♡
【7/19・7/26放送】BS-TBS『美しい日本に出会う旅』で松下洸平さんが島根を旅します
2023年05月12日
くらし
あそぶ
たべる
観光列車「あめつち」が木次線を特別運行します !!
2023年03月28日
くらし
あそぶ
集う
4月のイベント情報
2023年03月01日
くらし
あそぶ
集う
3月のイベント情報
ログイン
投稿・コメントをするにはログインが必要です。
ログイン
新規団員登録はこちら
© Remember Shimane
高島という島があることを初めて知りました。
wikipediaを調べるとなんと載ってました。
興味深い写真をありがとうございます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6_%28%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%29
その、wikipediaによると、釣りスポットとして人気があるそうですけど
ポイ捨てスポットにはして欲しくないですね・・
高島は野鳥の宝庫で、バードウォッチャーはよく渡っているようですよ
水道管が海底走っているのはここではなかったかな?
美しすぎる。
関西からの帰省のとき折居の辺りから高島が見えてくるけど、折居の足りではもっと東西に短く見えま益田のほうに進むにつれこの島影になってきます。
美しいです。今すぐ帰りたくなります。
ありがとう!
Yossiさん、oka-ponさん、Mqさん こんにちは。
「高島」美しい風景、島影ですね。
(昨年の2月~3月は、小次郎さんがご投稿されたと時は、自分がリメンバー見るのを停滞していた時期で) 初めて、この風景を、見ました。
津田のきれいな海の風景も、ここで見せていただきましたが、
きれいな高島の写真をありがとうございました。
小次郎さん、ありがとうございます。
Mqさん~ 「高島」の写真を引っ張ってきていただいて、ありがとうございました。
夕寒き 孤嶋に星を 数えけり これは、石見地方(島根県西部)の俳壇の先達、近藤月村先生の句であり、孤島暮しの実感がよく表現された作品といわれている。 この不毛の孤島、高島に住まなくてはならない悲しい運命を背負った人々があった。 その移住の先人説として、「高島由緒」には、大永3年(1523年)、毛利元就の攻略に遭い、悲運を辿った出羽(島根県邑智郡)城主高橘(たかきつ)大九郎の一族が亡命漂着、この地を開拓したのが始まりとされている。 他に2,3の異説があるが、いずれも戦国武士の漂流説であり、時代もほぼ接近している。中世以来、人々は高島の南東部にある標高4,50メートルの僅かな傾斜地に住み、大自然の猛威と戦いながら僅かな耕地に甘藷、雑穀を作り、海藻、魚介類を採って 暮したのであった。この狭い高島は、生徳2年(1712年)にネズミの異常繁殖のため、耕作物に壊滅的被害を受け大飢饉に陥った。それ以来、島の人口が増えることを最も忌み嫌い、戸数を七戸以内とすることを不文律とした。高島は、もう一つの名を七戸島といわれ、「春潮や 神の置きたる 七戸島」と詠まれている。それ以後明治まで この七戸の掟は守られた。昭和に入って漸増し、最盛期の昭和35年には16戸、125人の人達が高島に住んでいた。昭和27年に電灯がともり同29年には村営(那賀郡 鎌手村)の定期船も就航し、ようやく文明の恩恵に浴することとなった。しかし、高度成長のもたらす僻地の過疎化の波には抗しきれず、昭和53年3月(1978)、全集落16戸が対岸の益田市土田町に集団移住するところとなり、約450年に及ぶ高島での生活の歴史に終止符がうたれた。
== 「お伊勢」にまつわる話 ==
高島にもこの世の常として悲しい女の物語が伝えられている。 それはいつ頃のことであったか、お伊勢という娘がいた。男性なら誰でも振りかえって見たくなる程の美しい娘であった。その美しい娘が対岸の津田という所から高島に嫁いで来た。新婚当初は、島の生活も楽しく珍しかったが、やがて荒涼たる孤島の暮しに 飽きてきた。望郷の念やみ難く、何とかして島を抜け出せないものかと毎日が気の狂わんばかりだった。しかし、荒海3里を隔てた孤島では如何ともし難いことであった。ある日、娘にふと妙案が浮かんだ。島の周囲は1里である、3周できれば対岸に渡れると考えた。天気のよいある日、試みに島の周囲を泳いでみたところ遂に3周することに成功、喜び勇んで前後のわきまえもなく、そのまま対岸に向かって泳ぎはじめた。しかし、 海を知らない女の悲しさ、日本海の潮流には勝てず、必至の力泳も空しく対岸まであと半里の岩礁にたどりついた時は、疲労と安堵感で気を失いそのまま息が途絶えた。その時は、淡い弦月の光が悲しく石見の海を照らしていたという。村人はお伊勢をたいそう哀れみ、この岩礁に「伊勢島」と名づけたそうである。それ以来、このあたりを月夜の晩を航海すると、もの悲しいお伊勢の呼ぶ声が聞こえてくると語り継がれている。
お伊勢さんの伝説は「まんが日本昔ばなし」で「お伊勢物語」としてアニメ化されてますね。
トラウマ回として有名だとか。
ちっちゃい頃は「ひょっこりひょうたん島」かと思ってました。
今も東京から帰ってくるとき、飛行機の窓から高島が見えると、ああ帰ってきたなあと思います。