広島県三次市で見つけました。 石碑は、元々どこにあった物かはわかっていないようですが、旧雲石街道に、広島藩が作った山家の一里塚があり、現在も石垣や水飲み場などが残り松の大木もあったそうで、そこにあったのではとのことです。 転々としながらも残り、説明文まで作って残されたこと、驚きです。 当時から、当時だからこそ、出雲大社は大きな存在だったのですね。
これは道標なので、場所が変わったら意味がなくなってしまうはずですが、違う場所に移って残っていたというのは、なんとも不思議な話ですね(・・;)
石碑の字体、味わい深いですね
過去に、この石碑に多くの人が関わっていたと
思うとロマンを感じます
いったいどこからやってきたのか不思議ですね。
まったく関係ないですが、玉造温泉のややおせっかいな看板にある「伊勢神宮まで徒歩4日」を思い出しました。
道標、よく見つけられましたね 三次もののけミュージアムの近く、なんでしょうか。ここに行く機会があればぜひ見てみたいです。みちしるべの先がいづも大社、確かに大きな存在だった事が伝わりますし、大事な道標だったからこそ今も残っているんでしょうね。いつの時代のものなのか、どこにあったものか、道標にしか分からない歴史のロマンですね。
そうなのです、道標や石碑などいつしかなくなってしまうことも多い中で、何名かの方の思いがつながって今ここに、このような看板まで作って残されていること、驚きです。
ええ、画数の多い文字は平仮名にしてあり、当時の方が彫りやすく見やすいように考えられたのかなと思いをはせたりしました。
ええ、なくなってしまうことも多い中、いろいろな方の思いがつながって今ここに、このような立派な看板まで作って残っていること、ロマンを感じますよね。
こうゆうものは郷土資料館に行ったりなくなったりすることも多い中、このような立派な看板まで作ってここに残されたことが驚きました。
えっ伊勢神宮まで徒歩4日で行けるのですか
ここは今までも何度か通っているのですが、先日初めて気が付きました。
ええ、もののけから近いです。私でも歩いて行けます。
ええ、石碑に話を聞いてみたいですよ。
言われてみるとおかしいですよねえ。でも確かに書いてあるのです。https://ameblo.jp/laura-run/entry-12212300714.html
でも480㎞(これは正しそうな数字ですね)を徒歩4日って、1日120㎞歩く計算・・・なぜこの案内が出来たのか(ただのおふざけ?)知りたいです。
そういう可能性もありますね。
本当ですね!
江戸時代、普通の人で一日50km、飛脚がその倍って聞いたことがあります。
この看板のゆわれが気になります