飯南町 大森銀山道道標石碑(=⌒_⌒=)
2021年10月25日

飯南町観光協会のかわいいイラスト地図にも載っています。
自動運転車も通りますし、近くにバス停もあります。
道の駅赤来高原から歩いても行ける距離です。
銀山街道と出雲街道の合流地点なのですね。
裏には、この石碑が建てられた年月と世話人の名前も刻まれています。

この辺りは古戦場跡でもあったようで、画像1の上にはその看板も付けられています。

コメント
しまにゃんちゃんさん、こんばんわ。
このイラストマップ、我が家にもあったかもしれませんが・・・
でも、よほど興味がないと、わざわざ道標を見に行くことはなさそうですね(^_^;A
こういう物に目が行くのも、自動運転車い~にゃん号のおかげでしょうか(^^ゞ
2021年10月25日
しまにゃんちゃんさん、こんにちは♪
この特徴のある文字とイラスト、もしかして道の駅赤来高原の駅長さんが手掛けたものでしょうか?
2021年10月25日
しまにゃんちゃんさん こんばんは

飯南町にこんな看板があったのですね、知識が増えました
大森銀山というのはかなり前の呼び名、色の褪せ具合といい
かなりのビンテージ物の看板かと思いますよ
2021年10月25日
ここでもkinocoさんこんにちは(=⌒_⌒=)
そうなのです、私も数年前までは歴史に全く関心がなかったのですが、いろいろな偶然が重なり関心を持つようになりわざわざ見に行きました。
ええ、い~にゃん号が銀山街道を走るので、お手軽観光にもです。
2021年10月26日
だぶこさんこんにちは(=⌒_⌒=)
そうですね、そうかもしれませんね。機会があったらだぶこさんが直接ご確認くださいね
2021年10月26日
紀伊神谷さんこんにちは(=⌒_⌒=)
私は歴史に全く関心がなかったのですが、飯南町に結構「銀山」がらみの看板があり、気にするようになりました。
そう、大森銀山と言う方、まだまだ結構いらっしゃいますよね。
2021年10月26日
しまにゃんちゃんさん、こんにちは。

道標も石碑も設置されてからの年季を感じます。
銀山から尾道まで銀の運搬を余儀なくされた赤名の人々の苦労が偲ばれます。
江戸幕府の命令だったそうで、何故か北大路欣也さんが悪者に見えてしまいます(大河ドラマの見過ぎ?)。

地図では学校、郵便局、会社などの建物が多く見られ、昔も今も多くの方々が生活されていることが伝わります。
2021年10月30日
風見鶏さんこんにちは(=^ェ^=)
ええ、紀伊神谷さんのこめんとでも大森銀山の呼び方が年季を感じます。
ええ、当時の日本を背負っていたのてすよね。
ええ、今も赤来の中心部です。
2021年10月30日
関連するリメしまNews